2012年12月29日土曜日

第4回 「故郷を離れ暮らすこと。そうして繋がる文化と人」終了いたしました。



12月19日に大槻ヴァレリアハルエさんをゲストにお迎えした、みちのくらし第4回 「故郷を離れ暮らすこと。そうして繋がる文化と人」が終了致しました。


今回のみちのくらしはブラジル料理付きということで、ヴァレリアさんの指導の下タブレメンバーも一緒になって料理の準備をしました。調味料やお酒など、普段では中々見る機会のない材料が沢山使われました。準備が進むにつれて、美味しい香りがお店を満たしていきます。

トークの前半はヴァレリアさんの生い立ちと、震災後の活動について話を伺いました。ヴァレリアさんの笑顔と明るい語り口調が会場の雰囲気を緩めていきます。


<最初は日本に来たくなかった。>
ーー蒲生出身のおじいさんがいらっしゃるヴァレリアさん。そのおじいさんはコーヒー農園の地主になるために、家族の反対を押し切りブラジルへ渡りました。日本に戻るつもりでいたのですが、まもなく第二次世界大戦が開戦。ブラジルにとって日本が敵となってしまった為、日本へ戻ることが許されませんでした。当時のブラジルでは、日本文化の全てを取り除かれてしまいました。その後、日本が敗戦という形で終戦を迎え、「勝ち組」と「負け組」 というブラジル内で起こった日本人(移民)同士の戦争なども経験するなど、そういった中で暮らしていました。

日本に出稼ぎに来て1年半ほど工場で働き、その時におじいさんの故郷である仙台を訪れ、大好きになりました。日本での暮らしは、日本語は喋れないが(顔立ちが日本人なので)日本人という風に言われ、日系人として複雑な心境でした。仙台では日本語もわからないのに訛った言葉で迎えられとても困惑しましたが、温かさに触れるにつれて仙台だったら住めるかもしれないと感じました。


<仙台は第二の故郷>
ーー工場で働いた後、日本からブラジルへ戻りますが、1995年に東北大学歯学部で技術研修するための試験を受けました。受かる自信は全く無かったが、合格。また仙台に来ることができました。そこから沢山の日本人と交流するようになり、仙台のことを第二の故郷だと思っています。


<私の願い>
ーー日本へは出稼ぎや留学、仕事などで来ていて、様々な立場で関わることで、とても勉強になりました。その中で課題に感じているのは、日本に住むブラジル人コミュニティとその地域に住む日本人の交流です。交流はほとんどありません。

外人も日本人も全員が被災した震災を通して考えるのは、日本人とブラジル人が関わり合いながら一緒に暮らしていける多文化社会。それぞれの良い所を取り入れながら、より良い社会に向かって進むことができればと願っています。ブラジル料理のように、ごちゃごちゃまぜこぜに暮らせれば良いですね。


<震災時は?>
ーーブラジル大使館からは、原発が危ないから迎えにくのでブラジルに帰るようにと言われました。また、同じ時期にブログなどから「支援をさせてください」などの連絡が沢山くるようになります。ブラジル人がいなければ、そういった支援物資を受け取ることができなかった事情もあり、私は日本に残り支援の活動を行うことにしました。

それからは、支援物資が積まれたトラックが来たり、炊き出しをしたり、支援活動をしました。家にも支援物資が届くようになったりと忙しい日々でしたが、沢山の人は心配をしてもらったり、料理を作ってもらったり、人との繋がりを感じ温かい気持ちになりました。今後は、こうした経験を話す活動を必要と感じています。





一旦休憩をはさんで、ブラジル料理の紹介と共にテーブルに並べていきます。ヴァレリアさんの説明を聞きながらいただきました。そのどれもがとても美味しかったです。参加者の皆さんの自己紹介や参加の動機なども伺っていきました。


後半は、パソコンで写真を映しながらお話していただきました。ブラジルの昔の様子や、想い出の写真、出稼ぎの様子、ブラジル人コミュニティにあるスーパーの様子、震災後に仙台で行った活動の様子などがありました。

参加者の皆さんからは、ブラジルの文化や歴史について、ブラジルでの生活について沢山の質問が出ました。ヴァレリアさんが話すブラジルの普段の暮らしは、よく聞くブラジルのイメージとは違い、日本にもよくある暮らしと似ている部分もあるように感じました。

ヴァレリアさんは最後に改めて、「日本とブラジルの文化交流には、沢山の課題がある。今まで築いてきた沢山の繋がりを感じ、更に沢山の人に出会いながらブラジルの文化を伝えたい。」と笑顔で話して下さいました。

互いの文化を知り感じることで、より良い方向性を進んでいくヴァレリアさんのお話はとてもしなやかで力強く、笑顔に溢れていました。参加者のみなさまの中でも、ブラジルに行きたい!ツアーを企画して!という提案も挙る程(笑)とても和やかな雰囲気でした。

参加していただいた皆さま、ゲストのヴァレリアさん、有難うございました!

2012年11月26日月曜日

第4回 「故郷を離れ暮らすこと。そうして繋がる文化と人」



モノとチエをもちより、かんがえ、わかちあう。みちのく+くらし。を
コンセプトにした「みちのくらし」。第4回は、「故郷を離れ暮らすこと。
そうして繋がる文化と人」です。日系ブラジル2世のヴァレリア大槻ヴァ
レリアハルエさんをゲストに、お仕事やご自身の経験談について、また
BrazilCafe」という活動についてお話していただきます。故郷を離れる
ということ、文化のこと、共に暮らす生き方などを一緒に考えていく機
会になればと思います。

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第4回  「故郷を離れ暮らすこと。そうして繋がる文化と人」

日時:12月19日(水)19:00 〜21:30

仙台市青葉区本町1-14-30-1F

会費:2,000円(ブラジル料理付き)

定員:20名
主催:せんだいコミュニティカフェ t,able 
申込:070 - 6954 - 3156(せんだいコミュニティカフェ t,able 皆川)
又は、 sendaicommucafe☆gmail.com(☆を@に変更してください)

ゲスト: 大槻ヴァレリアハルエさん 

ブラジル・サンパウロ生まれ育ちの日系2世。1995年に東北大学歯学部
で技術研修するために来日。その後結婚して仙台で生活。ポルトガル語
講師、ブラジルの文化の紹介、講演会、国際交流イベント、多文化共生
プログラムなどで幅広く活躍。


:12/8追記:

当日お出しする予定のブラジル料理メニューです!

【メニュー

○鶏肉とコーンのストロガノフィ ブラジル・サンパウロ風 
アホス・ジ・コロラオ(パプリカご飯) 
パステウ・デ・パウミット(ヤシの芽のおやつ) 

*マテ茶、ブラジルコーヒーなども用意します。 
*別料金で、ケンタウン(ブラジルのお酒ピンガの暖かいカクテル)を
ご注文頂けます。 

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お父さんが仙台市出身の日系ブラジル2世のヴァレリアさん。 ポルトガ
講師をしながら、ブラジルのお料理会やライヴとともに、 ブラジルの日
社会や日本のブラジル系日系人社会の歴史・文化紹介をしてきました。 
震災後は、お祖父さんの出身である宮城野区蒲生の人々が暮らす、岡田の
仮設住宅を中心に、県外のブラジルの団体と協力して炊き出しを行ったり、
支援グッズの販売をしたりと活動を続けています。 おいしいブラジル料理
を食べながら、「故郷」を離れるということ、「文化」のこと、共に暮ら
す生き方など一緒に考えてみませんか。 


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是非、お気軽にご参加下さい。

2012年11月11日日曜日

第3回 「食と農。震災1年半後に描く未来図」終了致しました。



11月8日に小さき花 市民の放射能測定室仙台」代表の石森 秀彦さんをゲストにお迎えした、みちのくらし第3回「食と農。震災1年半後に描く未来図」が終了しました。

平日にも関わらず多くの方にご参加いただきました。タイトルにもありますが震災から1年半が経ち、普段の生活に戻りつつある中で改めてこうした場が必要であると感じました。

トークの前半は石森さんがなぜ有機野菜の農業を始めたのか、震災後に測定室を始めた経緯などを、当時とった行動に触れながらお話しいただきました。途中、メンバーが作る食事をいただきながら和やかな雰囲気の中伺っていきます。

t,ableのメンバーが作る食事の様子
 


<有機農業を始めたきっかけは?>
ー 昔、農業に接する機会があって、色々な人が色々な形で関わりながら作っていく仕事は他にないな、面白いなと興味を持ったのが始まりでした。その後、農大で有機農業などを学びネパールのNGOで仕事をするようになった。続けていると、仕事に対して限界を感じることも出てきた。例えば農業の技術を現地の人に教えるときに感じた事は、現地のある問題に、土地の事をよく知らない別の国の人が、その場で考えた解決策はうまくいくはずがない。その地域に長く暮らすからこそ本来の解決策が見えてくるわけです。

そこで、現地の問題は現地の人にしか解決できないのだなと感じ日本へ戻り、今までのノウハウを活かし「自立」できる循環型の暮らしを目指すようになった。有機野菜の栽培など様々な取り組みを続けることによって、近隣のお宅へ配達できるほどの野菜が作れる迄に至った。


<東日本大震災以降は>
ー 原発の事故によって有機農業の核とも言える飼料、腐葉土などが全て放射能に汚染され使用できなくなった。このひとつが絶たれるだけでも、循環型の暮らしが崩れてしまうのにいくつも絶たれてしまったわけです。これからどうしていこうかと考えてしまった。原発の事故以降はとりあえず南に疎開し、一週間程度避難すれば仙台に「戻れるのか」、「戻れないのか」がわかると思った。でも情報が全然出ない、野菜に関するデータも出てこない、そのうちに政府の安全宣言が出る。その時は、まだ測定の結果も聞いていないのにと感じた。

その後、息子の高校(山形県と新潟県との県境)から「放射能の計測を続けた結果大丈夫」と連絡があって初めて山形は大丈夫なんだなとわかった。それで戻ってきたけど、その時も宮城県の情報はわからなかった。あまりにも情報がなさすぎて、自身も含め信頼している友人さえ判断が出来なかった。これら受けて、ちゃんとしたデータがわかるまでは野菜を作ったり配達は出来ないと思って辞めました。その当時農業を辞めたのは僕だけだったんじゃないかな。


<放射能測定室を始める経緯>
ー データが出なかったことを誰かに頼って考えるのではなく、まずは自分が行動すること。こうした考えと、不思議な縁も重なって450万する測定器を購入し測定室を始めました。目的は、それぞれの食品を食べても大丈夫なのかどうかの判断材料にしてもらう事、そして測定費をなるべく安く設定することで誰でも気軽に測定が出来るようにする事。なるべく多くの人の被曝を少なくしたい想いです。

測定しに来る人でよくある質問は「孫に食べさせても大丈夫か?」「これは食べても大丈夫か?」など様々。年配の人は気にせず食べても良いように言われているけど、そんなことはない。放射能の影響を一番受けやすいのは、子どもと年寄りなんです。どちらにしても気にしなくて良いことはないのです。こうして、たまたま測定室をしてるけど、皆が暮らしやすく平和になればいいなと思っています。

<今後の展望>
ー 沢山のコミュニティが関われる場所にしたい。そうすることで、更に沢山の人に関心を持ってもらえるように活動を広げていきたいと考えている。そのためには継続的にこうした場を設けること、モチベーションを持ち続けることが大事だと思う。皆さんの協力も必要になります。

後半は、参加者の自己紹介と感想、質問を伺いながら何を考え行動していけば良いのか話を深めていきました。皆さんからは、より具体的な質問が多く石森さんが数値や専門用語を資料を交えてわかりやすく教えてくださいました。答えなき問題にモヤモヤとしつつ、では今何ができるのか?という「希望」をわかちあえたひと時だったなぁと感じます。参加していただいた皆さま、ゲストの石森さん、有難うございました!


<食事のメニュー>

・おばー茶(野草茶)
・「パン工房 麦」さんのカンパーニュ
・ひよこ豆とかぼちゃの豆乳スープ
・紅芋の茶巾絞り
・パプリカとマクワウリのサラダ
・バジル(飾り兼食用)
・食用ホウズキ
・紅芋チップス
・穀物コーヒーまたは紅茶

パプリカ、マクワウリ、食用ホウズキ、バジル、は石森さんのビニルハウスで栽培されたもの(ビニルハウスの土壌は3ベクレル/キロ以下です。野菜も測定しています)。甘くて美味しかったです!かぼちゃは、村田の三田さんの清内路かぼちゃ(在来種)です。(検出限界2.6ベクレル/キロで不検出)おばー茶、紅芋と紅芋チップスは「はなつちの会」を通じて沖縄・伊江島から届きました。「パン工房 麦」さんは、安心な材料からおいしいパンをつくっています。皆さま、いつもどうもありがとうございます。




2012年10月24日水曜日

第3回 「食と農。震災1年半後に描く未来図」

































モノとチエをもちより、かんがえ、わかちあう。みちのく+くらし。を
コンセプトにした「みちのくらし」。第3回は、「食と農。震災1年半後
に描く未来図」です。「小さき花 市民の放射能測定室仙台」代表の石森
秀彦さんをゲストに、食と農についての想いや測定室を立ち上げる経緯
と運営についてお話していただきます。現在も刻々と状況が変化してい
く中で、石森さんが何を感じ、どこを見て、どう動いてゆくのか。「現
実」を感じ、一緒に考えていく機会になればと思います。

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第3回  「食と農。震災1年半後に描く未来図」

日時:11月8日(木) 11:00~13:30 

会場:SHARE CAFE(シェアカフェ) 
仙台市青葉区一番町2丁目5 - 15 共栄一番町ビル3F    
*トモズ仙台サンモール店様(仙台松竹会館跡)脇の路地より歩いてすぐ。

会費:1,500円(昼食付き) 
定員:20名
主催:せんだいコミュニティカフェ t,able 
申込:070 - 6954 - 3156(せんだいコミュニティカフェ t,able 皆川)
又は、 sendaicommucafe☆gmail.com(☆を@に変更してください)

ゲスト: 石森 秀彦さん

仙台市生まれ。小学6年から中学1年までペルーのリマの日本人学校に
通う。 基督教独立学園、東京農業大学卒業。ネパールに一年滞在して
NGOやマザー・ テレサの修道院を手伝う。仙台市太白区坪沼に自ら田
や畑を開墾。有機農業を営む傍ら、様々なイベントを企画。  

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仙台市太白区の坪沼で有機農業を営み、自然に根ざした暮らしをして
きた石森秀彦さん。原発事故後、「畑の除染が終わるまでは農業をや
めることにした」と、すぐに野菜の配達をやめました。そして、
2011年11月に「小さき花 市民の放射能測定室仙台を立ち上げ、野
菜や土壌などの測定を行っています。どんな想いでこれまで農業に
わってきたのか、どんな想いで測定室をつくり、どのように運営して
いるのか。お話を伺いながら、これからのことを一緒に考えていきま
しょう。 

<小さき花 市民の放射能測定室仙台>
一番小さき人、困っている人、必要としてくれる人のための放射能測
室。 放射能測定のデータは、市民で共有できるように公表しています。 

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是非、お気軽にご参加下さい。

2012年10月22日月曜日

「3・11 ふるさと気仙沼からイラクの友を想う」 -ご報告



すっかり報告が遅くなりました。

メンバーの桃生です。


103日(水)に2回 みちのくらし「311 ふるさと気仙沼からイラクの友を想う」 を開催しました。

参加者は7名。

会場は仙台の火星の庭。

今回のゲストは気仙沼出身でイラク支援・文化交流NGOPEACE ON(ピースオン)」を主宰する相沢恭行さん。

PEACE ON


とても勉強になるお話をたくさんしていただき、内容をすべてブログで紹介したいぐらいですがきりがないので簡単にご報告させてください。(ごめんなさい。)

前回より参加者が少ない分ゲストとじっくりお話することができました。

まずは自己紹介からはじまった相沢さんのお話。



911のアメリカ同時多発テロ(2001年)をきっかけにアフガニスタン紛争、イラク戦争などが発生し、相沢さんはアラブに関心を向けるようになったそうです。

そこでアラブ世界やイラクのことを何も語れない自分に気づき、実際に現場へ足を運びます。TVなどを通して見たり聞いたりしている現地の状況はイメージにすぎない。相沢さんは、現場へ足を運ぶことの大切さをお話ししていました。

戦争のさなか「人間の盾」(※)などの活動を通して相沢さんが見た光景は、必至に日常を続けるようとする市民の姿でした。



大きなメディアでは報道しないような目を覆いたくなる悲惨な出来事を写真を交えて紹介していただきながらも、一方で、どこにでもあるような人間の生活がそこにあることを力強くお話されていました。

「戦争をしていないからといって平和とは言えない。平和はつくっていくもの」
という相沢さんの体験を通して発せられた言葉は、とても印象的でした。



他にもイラクのアート作品の話や農業国だったイラクを石油がダメにしたというお話、気仙沼とイラクをつなぐ活動など「へー」「なるほど」と思うことをたくさんお話していただきました。

相沢さんが最後にお話していたこと。「自分の弱さを認める」ということ。
「役に立ちたいときに役にたてないと感じた時、その先には絶望しかない。役に立てなくても良い、大事なのはそこにいてつながっているということ。」
相沢さんの言葉を聞いて少し体が軽くなりました。



相沢さん、長い時間ありがとうございました。
また仙台でお待ちしております。

参加者のみなさんもありがとうございました。

◎おまけ

今回のみちのくらしではスタッフによるアラブ料理を参加者とゲストを交えて楽しくたべました。今までにあまり経験したことがない味のものもあったり、アラブの人たちの味の好みもわかりました。


ヨーグルトをのせて食べました。おいしかったー。


2012年9月21日金曜日

みちのくらし 第2回 「3・11 ふるさと気仙沼からイラクの友を想う」

































モノとチエをもちより、かんがえ、わかちあう。みちのく+くらし。を
コンセプトにした「みちのくらし」。第2回は、「3・11 ふるさと気仙沼
からイラクの友を想う」です。イラク支援・文化交流NGO「PEACE ON
(ピースオン)」主宰相沢 恭行さんをゲストに、3・11から考えたイラ
クの友人たちとの交流についてや、昨年8月に行った交流イベント、今年
4月に開催した展覧会についてお話していただきます。今回の催しはアラ
ブ料理付きということで、お話に、料理に、異文化に触れながらお楽し
み下さいね。

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第2回 「3・11 ふるさと気仙沼からイラクの友を想う」 

日時:10月3日(水) 19:00~21:30

会場:book cafe 火星の庭 /  仙台市青葉区本町1-14-30-1F    
会費:2,000円(アラブ料理付き)
定員:20名
主催:せんだいコミュニティカフェ t,able
申込:070 - 6954 - 3156(せんだいコミュニティカフェ t,able 皆川)
又は、  sendaicommucafe☆gmail.com(☆を@に変更してください)


ゲスト:相沢 恭行さん
1971年生まれ気仙沼出身。2009年から京都在住。 
イラク支援・文化交流NGO「PEACE ON(ピースオン)」を主宰。
2003年からイラク人現地スタッフとともに障がい児へのスクール
バス支援や、イラク現代アート展などの文化交流活動を行っている。 

PEACE ON公式サイト http://npopeaceon.org/ 

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2011年3月11日の大津波は私のふるさと気仙沼を襲いました。闇の中で
ふるさとを呑み込んだ火の海のテレビ映像は、イラクで見た夜の空襲と
重なりました。 

戦禍を生き抜いてきたイラクの友人たちからは、私たちの無事を祈る
メールが次々と届きました。「家族と連絡がつかないつらさはよくわか
る」という言葉にどれほど励まされたことでしょうか。 

そして津波で変わり果てたふるさとを目の前にして、戦争で故郷を奪わ
れたイラクの友の気持ちが初めてわかったような気がします。 

トークでは、私自身の3・11から考えたイラクの友人たちとの交流につい
て、  また昨年8月の交流イベント「ラマダーン明けイラクまつりin気仙
沼」や、今年4月イラク隣国ヨルダンで行われたチャリティー展覧会
「巨大津波後の日本展」の様子もお伝えします。 

3・11後を彷徨う日本の私たちと、戦争で祖国を奪われたイラクの友
たち。 ふるさとの痛みを胸に、手を取りあって共に未来へと生き抜く
ために。仙台の皆さんと一緒に考えてみたいです。 

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是非、お気軽にご参加下さい。

2012年9月15日土曜日

せんだいコミュニティカフェ t,able(タブレ)と決まりました!

























お知らせが前後してしまいましたが、この度名称がせんだいコミュニティカフェ
準備室から「せんだいコミュニティカフェ t,able(タブレ)」と決まりました!

t,able(タブレ)とは団らんの象徴であるテーブルをイメージしており、は「集
う」,「食べる」,「創る」,「問う」,「伝える」,「Talk(話す)」, それらがable
(する、出来る)という意味が込められています


先日から「みちのくらし」という新たな企画をスタートしましたが、今後も様々
な場所で気軽に集まりフラットに話を交わし、より良い暮らし”を実現するた
に必要な情報を共有・交換できる「場」を創るべく、メンバーそれぞれがアイ
アを持ち寄り、継続的に進めていきたいと考えています。


名称の決定に伴い、徐々に活動理念や活動報告などで加筆や訂正をしていきます。
全ての移行まで多少の時間がかかります。ご理解のぼど宜しくお願い致します。


2011年3月下旬にせんだいコミュニティカフェ準備室を立ち上げてから、様々
企画や集まる場を設けてきました。こうして続けてこれたのは、私達の活動
同、共感してくださり、応援してくださった方々のおかげです。心から感謝申し
上げます。

ゆっくりとした歩みではありますが、和やかに集う「テーブル」の空気を大切に、
これからも活動してきたいと思います。今後ともどうぞ宜しくお願い致します。




            せんだいコミュニティカフェ t,able(タブレ) 一同